日本語学校、進学主任のおしゃべり

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東大合格!!

こんばんは、日本語教師の和田卓郎です。
23区内の日本語学校で進学主任として勤務しています。

 

 

今日は、雑記として、
日本の大学の「謎のブランド」について書いてみたいと思います。

 

 

TV版ドラゴン桜の最終回で、桜木先生がこんなことを言っていました。
「前にも言ったと思うが、俺は東大が好きじゃねぇ。
東大に行ったってだけで人生成功したと思ってるやつら、
目の前の相手が東大出たと知った瞬間に卑屈になるやつら。
これみんなゲス野郎だ。」

 

 

また、週刊誌には、「高校ランキング」のような見出しで、
難関大に合格した人数を指標にランキングをつける企画があったりして、
その時の売り上げは良くなるようです。

 

 

良くも悪しくも、日本人の中には、「大学名」に一定の「ブランド」を感じ、
「大学名」を気にする人が一定数いるというのは確かでしょう。
読んでくださっている人の中にもこのタイトルを見て、
「おっ?」なんて、心が動いた方がいらっしゃるかもしれません。

 

前述の桜木先生は、同じセリフの中で、
「勝手に祭り上げ、勝手に諦め、そして勝手にコンプレックスを抱く」などという言葉も言っています。

 

 

確かに、「東大●●●人」「早大×××人」なんていう広告や看板を見ると、
よくわからない人からしたら、さぞかし良い教育機関なのだろう、
というイメージを持つかもしれません。
一方で、それ故か、アンチを生じさせてしまうこともあります。

 

 

「良い教育」をすれば合格実績が上がるのは確かでしょう。
しかしながら逆は真では無い、というのも多くの教育者が感じていることかもしれません。
合格実績を求めすぎて、ただの詰め込みや受験テクニックに走ってしまったら、
理想的な教育からは離れていくような気もします。

 

 

先人の教育者たちは、そのあたりのバランスをとる努力をしてきたように思います。

 

 

開成中学高校の初代校長の高橋是清は、「教育目的は、進学のみにあらず、「学問の目的は社会の利益を興さんとする」」ことであると述べたそうです。

 

また、私の尊敬する駿台予備校のある講師は、「(将来の学問につながるように、単なる入試対策に終わらないような)教科の枠を超えた 普遍的な学力が身に付くような、知的好奇心を刺激するカリキュラムを作成している」といったような言葉を発表しています。

 

 

両氏ともに明らかに「受験」を教育の一部に過ぎないと捉えており、「理想の教育」と「受験」を分けて考えていることが伺えます。

 

 

私も進学主任として、その辺のバランサーになるべき立場だと思っていますし、
今まさに、そのバランスをとるべきフェーズにあるように思います。

 

 

大変だけどね~。
でも、楽しいから良いけどね~。

 

 

おわり。

 

 

 

和田卓郎