日本語学校、進学主任のおしゃべり

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「原体験」って…

こんばんは、日本語教師の和田卓郎です。
23区内の日本語学校で進学主任として勤務しています。

 

 

先日来、志望理由書やら面接対策やらの話をしていて、その中で繰り返し、「原体験」という言葉を使っていました。

 

 

で、ふと思い出したことがありまして、
この「原体験」、学生が考えたり、また、学生に考えさせたりするのがとても難しい、と他の先生から言われたことです。

 

 

その時は、「そっか~」ぐらいに思っていたのですが、
ふと気づきまして、もしかしたら私に「見えない意図」のようなものがあり、
それを伝えきれてないのではないか、と。
その先生は、それをご指摘してくださったのではないか、と。

 

 

で、よく考えてみまして、
私が但し書き無しで「原体験」という言葉を使ってしまっていることが、
その難しさの1つの原因だろうと気づきました。

 


すなわち、「原体験」というと「幼少期の体験」を考えなければいけないのでは?、という難しさです。

 

 

確かに、「原体験」とは、「現在の人格や思想に強い影響を与えている幼少期の体験」でしょうが、
最近は、幼少期に限定されない「思想や考えの基礎となっている強烈な印象の体験」のような意味で使われているような気がして、その意味で私は使ってしまっていました。

 


確かに幼少期に限定しちゃうと難しいですね。

 

 

 


先生方の中で「自分で指導すると上手くいくのに、人に同じようにやっていただこうとすると、なかなかうまくいかない」という経験はありますか?
私は、結構経験してきたような気がします。

 

 

予備校時代も、私が作ったテキストで授業すると自分では上手くできるのに、人がやると使いづらい、なんていう経験も…。

 


おそらく、今回の「原体験」のような「無意識の意図」や「可視化されていないイメージ」のようなものを伝えるのが不得手なのかもしれません。

 

 

改めまして、

 

takuchatw.hatenablog.com

 

takuchatw.hatenablog.com

 

↑このエントリー内などで言っている「原体験」は、
幼少期の体験に限定されていませんので!

 

 

 

 

このブログは、「自分の指導のモニタリング」の意味もありました。
図らずも、ブログがそのきっかけになってよかったです!

 

 

では、おしまいー。

 

 

 

 

和田卓郎